「iPhoneを水に落とした」と一口に言っても、落とした水の正体によって内部で起こる現象はかなり違ってきます。当店では月に8-10件ほど水没修理のご依頼があり、その中で海水・真水・コーヒー・温泉水と、原因となった液体は実にさまざま。先日も、海水浴場でiPhone 13 Proを濡らしてしまったお客様と、自宅でコーヒーをiPhone 14にこぼしたお客様が同じ日にご来店され、開けてみると基板の状態が驚くほど違っていました。

2019年から大阪・松屋町で基板修理を専門に対応してきた経験上、水没後の対処の優劣は「電気が通っている時間」と「水質」の掛け算で決まります。本稿では、4種類の代表的な液体について、iPhone内部のPCB(プリント基板)で起こる電気化学反応を整理し、応急処置がなぜ有効なのかを技術的な視点から解説します。

iPhone 13 Pro water-damage 修理事例

そもそもiPhone内部で何が腐食するのか

iPhoneのロジックボード(基板)は、ガラスエポキシ製の多層基板の上に、銅(Cu)パターンが配線として走り、その上にはんだ(主にSn-Ag-Cu系の鉛フリーはんだ)で各種ICやコンデンサが実装されている構造となります。露出している金属はおおむね、銅・スズ・銀・金メッキ(コネクタ部)・アルミニウム(シールド缶)あたり。

水が入り込み、かつバッテリーから電圧が印加されている状態では、水を電解質とした「ガルバニ電池」が基板上に無数に成立してしまいます。異なる金属どうしが水を介して電気的に繋がると、卑な金属(イオン化傾向が大きい側)が陽極となって溶け出す — これが電気化学腐食の正体。iPhone内部では、銅パターンが陽極となって緑青(塩基性炭酸銅)が生成し、断線・短絡を引き起こすケースが圧倒的に多い印象です。

ここで重要なのは、水の導電率と pH と溶存イオンの3要素。これらが変わるだけで腐食速度は数十倍単位で変動します。同じ症状の他事例もあわせてご覧ください。

水質別 — 4種類の液体が基板に与える影響を一覧で

液体 導電率(目安) pH 主な腐食イオン 銅パターンへの影響 進行速度
海水 約 50,000 µS/cm 8.0-8.3 Cl⁻(塩化物) 塩化銅(II)生成 → さらに電解促進 非常に速い(数時間で目視可)
真水(水道水・雨水) 100-500 µS/cm 6.5-8.0 Ca²⁺、HCO₃⁻、微量Cl⁻ 緑青(塩基性炭酸銅)生成、緩やか 遅い(数日〜数週間)
コーヒー 1,000-2,000 µS/cm 4.8-5.2(酸性) クロロゲン酸、糖類、K⁺ 酸による直接溶解+糖の固着 中速だが固着が厄介
温泉水(硫黄泉) 2,000-10,000 µS/cm 2.0-4.0(強酸性) S²⁻、SO₄²⁻、Cl⁻ 硫化銅(黒変)生成+酸蝕 速い、しかも深く進む

同じ「水没」でも、これだけ性質が違うわけです。次の章から、それぞれを掘り下げていきます。

海水 — 塩化物イオンが触媒のように電解を加速させる

海水の腐食性が突出して高い理由は、約3.5%含まれる塩化ナトリウムから供給される塩化物イオン(Cl⁻)。Cl⁻は銅と反応してCuClを作り、それが空気中の酸素や水分と反応して塩化銅(II)・酸化銅(I)へと変化し、最終的にまた銅イオンと塩化物イオンに戻るという、ある種の触媒サイクルを構成してしまいます。つまり、Cl⁻自体は減らないまま腐食だけが延々と進行する仕組み。

当店に持ち込まれた海水水没のiPhone 12を分解した先月のケースでは、水没から3時間後の段階ですでにロジックボード周辺のシールド缶下に薄緑色の生成物が確認できました。Touch ICの足元やPMIC(電源管理IC)の側面に塩化物の結晶が見えるレベル。海水の場合、水没から30分以内の電源遮断と、24時間以内の超音波洗浄を行えるかどうかで、基板交換に至るかどうかが分かれる印象です。

さらに厄介なのは、海水が乾いた後に残る塩の結晶。湿度が60%を超えると塩が再び水分を吸って導電性を取り戻し、修理して一度動いたiPhoneが数日後に再発する、という「潮解性による再発」が起こります。海水水没では、乾燥後でも超音波洗浄が必須となる根拠がここにあります。

真水 — 一見軽症だが「電源を切らない」と最悪化する

真水(水道水・雨水・トイレの水など)は導電率が海水の100分の1程度。瞬間的な短絡が起こりにくく、見た目は「動いてる、大丈夫そう」となりがちです。しかしここに落とし穴があります。

真水は導電率が低い分、電解の進行も遅い。だからこそ「数日間そのまま使い続ける」ケースが多発し、結果として通電中の腐食がじわじわ進行してしまうのです。実は当店の水没修理でもっとも重症化して持ち込まれるのは真水水没というのが体感。先日も、3週間前に洗面台に落としたiPhone SE(第3世代)が、最初は動いていたのに突然起動しなくなった、というご相談がありました。開けてみると、CPU直下のBGAボール周辺に緑青が回り込んでおり、リワークでなんとか復旧しましたが、判断が早ければ短時間で済んだはず。

真水の場合の鉄則は「動いていても、まず電源を切る」。これに尽きます。修理ブログ一覧でも繰り返しお伝えしている通り、水没後に電気が流れている時間こそが、腐食進行の最大の変数なのですから。

コーヒー・ジュース類 — 酸性+糖の二重ダメージ

カフェで仕事中にこぼした、デスクのコーヒーが倒れた、というシチュエーションは月に2-3件はご相談を受けます。コーヒーが厄介なのは2つの理由から。

1つ目は酸性度。コーヒーのpHはおおむね4.8-5.2、エスプレッソだと4.5前後にもなります。クロロゲン酸やキナ酸といった有機酸が銅やはんだを直接侵食し、特にはんだ表面のスズ酸化膜を破壊して新しい金属面を露出させてしまう。これが二次的な電気化学腐食の起点となります。

2つ目は糖と乳成分の固着。砂糖入り・ミルク入りのコーヒーをこぼした場合、水分が蒸発した後にショ糖や乳タンパクが粘着質の膜となってコネクタ・スイッチ類に貼り付きます。これが電源ボタンの戻りが悪い、Lightningコネクタが認識しない、といった機械的不具合の原因になることも。糖膜は単なる超音波洗浄だけでは落ちにくく、当店ではIPA(イソプロピルアルコール)やフラックスクリーナーを併用して段階的に除去しています。

ジュース類(特にスポーツドリンクやコーラ)も同系統で、リン酸を含むコーラはpH2.5前後と特に強烈。スポーツドリンクは塩化物・電解質を含むため、海水寄りの挙動を示すこともあります。「ただの飲み物」と侮らないことが肝心となります。

温泉水 — 硫黄成分が銅を「黒く焼く」

大阪府内の方でも、有馬温泉や城崎温泉、または海外旅行先でうっかり…というケースが季節によっては集中します。温泉水の中でも特にダメージが大きいのは硫黄泉。硫化水素やチオ硫酸イオンが溶け込んでおり、これが銅と反応して硫化銅(CuS、Cu₂S)という黒色の化合物を生成します。

硫化銅の厄介なところは、表面に出来た黒色被膜が酸化膜のような自己保護層にならないこと。むしろ多孔質で内部に硫黄イオンを通し続け、深さ方向に腐食が進みます。一度持ち込まれた草津温泉での水没iPhone 11では、SoC側のはんだボールが完全に黒変し、リフロー(再加熱)を試みても電気的に復活しなかったため、基板交換のご提案となりました。

加えて、酸性泉(草津・蔵王・玉川など)はpH2前後の強酸性で、硫黄+酸の二重攻撃。アルミニウム製のシールド缶や筐体内部のフレームが侵されるケースもあります。温泉水水没は、見かけの被害が小さくても内部が深く傷んでいる前提で対処すべき症状となります。

水没後60分以内にやるべき5つの応急処置 — その理論的根拠

ここまでの水質別メカニズムを踏まえると、応急処置の優先順位がはっきりしてきます。

  1. 電源を即座に切る — 通電中の電気化学腐食を止める。海水・温泉水なら30秒の遅れも致命的
  2. 充電・操作を一切しない — 端子間に電圧をかけ続けるとPMICが焼ける。Lightning端子が濡れたまま充電するのは最悪手
  3. 水分を素早く外に出す — 振るのではなく、Lightningポートを下にして自重で排出。激しく振ると逆に内部の奥まで水が入り込みます
  4. 米やシリカゲルに入れない — 表面の水分は取れても、基板内部の塩や糖は除去できない。むしろ「動いた気がする」と使い続けて重症化する例多数
  5. できるだけ早く分解洗浄 — 海水・温泉水は当日、コーヒーは48時間以内、真水でも1週間以内が目安

当店では、お預かり後すぐにロジックボードを取り出して目視確認 → 必要に応じてIPA・専用洗浄液による超音波洗浄 → 乾燥 → 通電チェック → 不良ICの特定とリワーク、という流れで対応しています。お預かり時間は症状によって大きく変動しますが、軽度なら当日返却となるケースもありますし、基板修理を要する重度の場合は1週間程度お時間をいただくこともあります。修理料金の目安については、機種・症状によって異なるため、お問い合わせフォームよりお気軽にご連絡ください。

水没修理を依頼する前に — データバックアップの重要性

ほとんどの修理でデータを保持したまま対応可能ですが、水没のような重度故障では、洗浄や基板修理の過程でストレージが影響を受けるリスクがゼロではありません。電源が入る状態であれば、お預かり前にiCloudや母艦PCへのバックアップをお願いしております。電源が入らない場合でも、当店ではNANDチップからのデータ救出を試みるケースもありますので、まずはご相談ください。

当店では分解前のお見積もりは無料、お見積もり提示後のキャンセルも可能です(分解診断・部品発注後は所定の手数料が発生する場合があります)。交換した部品に対しては3ヶ月の動作保証をお付けしています(落下・水濡れなど使用上のトラブルは保証対象外、詳細は保証規約ページをご確認ください)。修理後は技術基準適合確認のうえお引渡しいたします。

大阪市内・近隣地域からのご来店はもちろん、全国からの郵送修理も承っています。大阪・松屋町スマエキでは、iPhone以外のApple製品も同様の手法で対応しておりますので、iPad画面割れ修理の流れも参考にしていただければ。営業時間は10:00〜19:00、水曜定休です。

よくある質問

iPhoneを海水に落としました。一見動いていますが修理は必要ですか?

見た目で動作していても、塩化物イオンによる腐食は時間とともに必ず進行します。海水の場合は当日中の分解洗浄を強く推奨しています。乾いた塩は湿度で再び水分を吸って導電性を取り戻すため、放置するほど再発リスクが高まります。

コーヒーをこぼしてからiPhoneを米に入れて2日経ちました。問題ないでしょうか?

米やシリカゲルでは表面の水分しか吸収されず、基板に固着した糖分や酸性成分は除去できません。一見動作していても内部腐食が進行している可能性が高いため、早めの分解洗浄をご検討ください。

温泉水と水道水ではiPhoneへのダメージはどれくらい違いますか?

温泉水(特に硫黄泉・酸性泉)は導電率が水道水の数十倍、pHが酸性で硫化物を含むため、銅やはんだへの腐食速度は経験上10倍以上の差があります。温泉水水没は数時間以内の対応が望まれます。

水没してから1ヶ月経ちますが、急に起動しなくなりました。修理可能ですか?

真水水没でよく見られる進行性腐食のパターンです。基板の状態によりますが、当店ではPMICやCPU周辺のリワーク・はんだ再施工で復旧するケースもあります。まずは現物を拝見させてください。

水没修理ではデータは残りますか?

多くのケースでデータを保持したまま対応可能ですが、ストレージチップ自体が腐食している場合は救出に時間を要します。可能であれば事前のバックアップを推奨しています。電源が入らない端末でもNAND直読みで救出を試みる手段はあります。